祥華算命

私の起源は

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家業 家族の家系

父の実母 :  神主の家系

私は、どうして占い師になっているのか?

小学生や中学生、高校生、どちらかというと、星占いは、気にしたことはありませんでした。

21歳のときに占い師となり、職業として、適職かどうかについても、あまり深く考えたことはなかったのです。

 

家族のご縁、私の命式と家族

占い師、仕事として成立しているのか? 占い師は人助け。人の痛みを分かち合う仕事です。

 

あるとき、叔母から、祖母の話しを聞きました。父の実母です。とても体の弱い人だったようです。

会ったことのない祖母ですが、私は、なぜだか、身近に感じていました。

理由は、私の命式の星に、祖母とその姉妹が、並んでいるからだと、後から気が付きました。

占い師はとても骨の折れる仕事・・・、自分への対策もしています。

祖母がまもってくれていると思うと、本当に、仕事が有意義に感じてきます。

しかし、祖母は、父が10歳のときに他界。父は、とても寂しい想いをしたと思います。

その後、祖父は後妻をもらいましたから、より一層寂しい想いをしたと思います。

 

父の実父 : 私の祖父の代から町の鉄工場

住職によると、私の家系は、南から長瀬という土地に行きついて農業を営んた。

先祖は、どっちかしら? 色々と紙に書かれています。こんな古い話・・信じられますか?

私が生きていときに話した祖父とは、優しくて厳しくて、いつも何かに憂いていて、大黒様を箪笥に忍ばせていました。

家では、長男の家系でしたので、盆、お餅つき、暮れ、正月には、親戚が集まります。その数20名以上。

私の母は、前の日から、食事と布団の用意に追われ、後片付けにも。

長女の私は、母の手伝いを率先して行うように、父に厳しく言われていました。

私は、少し楽しみにしていましたが、母の身になってみると、それはそれは気の毒だったと思います。

 

母の実父 : 新潟県清里区のコメ農家

5月になると、苗植えのために、叔母である母の姉がいる、新潟に行きます。

苗植え?名ばかりです。今日では、母の実家の後に、おいしい蕗が育っています。その収穫のためです・・

長い期間の習慣とは、すごいですね。私は、この行楽がとても楽しみなのです。若芽を見て、植物がたくさん見えますから。

苗植えは、機械で行うので、1ヘクタールを数分で終えてしまいます。

 

私は会ったことのない母の父ですが、正月は書初め、玄関の靴をそろえていなければ怒られる、これまた厳しい祖父だったようです。

そういえば、私は小学生のころに、私の書を送っていました。ある日、書で銀賞をとったときは、すごく喜んでくれました。

田舎のリビングの真ん中にある一角を、砂場と勘違いして、遊んでいたら、とても怒られた記憶があります。

それ以来、祖父のことを怖い人と認識されました。

そのような父の元で育った母は、早くに母の姉を頼り名古屋に出てきました。

茶道や華道の所作は、慣れで上達しますが、礼儀作法は、父ゆずりだったと思います。好きでもできない。心遣い。

何かあると、母は心からの礼儀作法を行っていると感じます。なぜ私には、受け継がれなかったのでしょうか。

 

続きは次回に、

 

この記事を書いた人

煌琉

名古屋生まれ。所属先 : International Fiscal Association。金融機関勤務。2018年イタリア'祥華算命'発表。2019年ギリシャ'同愛ことめ'発表。2020年'芒撫菊撫暗心'祈願す。

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